作者名 横井也有 (1702-1783)
作品名  「岐岨路紀行」、『鶉衣』拾遺中(有朋堂文庫本)所収
成立年代  延享二年(1745)
 その他  
乙丑のことし、君にしたがひ奉りて、卯月六日江戸を出でて尾陽にのぼる。一年を恙なく歸國のけふを待ちえたるよろこび、人々も賀しあへるに、

  卯花の中にうからぬ首途かな

年々なじみし武府の人々には、淺からず名殘をしまるゝもありて、流石に心ひかるゝ別とりどりなり。

  麥の穗の睫もぬれてわかれかな

今年は木曾の山路を分くる也けり。仕官の身のならはし、心ならず馬槍のいかめしくさざめきつれたる、野老村童に事問まほしきも、物言ひかはさんはにげなき樣なれば、店の餅酒は見ぬ顏して過ぎ侍る。まことに風雅の本意ならぬもいかゞはせむ。こゝの山はとありて、かしこの川はかくありてと書き付けたらん、その所見ぬ人はさもおぼえぬ物にて、殊に筆の及ぶまじう、何の榮かあらん。たゞおもひよれる句ども少し筆にとむるのみ。

(現蕨市)といへる所に、とばかり晝餉とゝのへて出づ。

  われとむる手もなき夏の蕨かな

此夜上尾
(現上尾市)に泊る。

 七日
熊谷寺
(現熊谷市仲町)に直實が像などあるよし、路のあわたゞしくて立ちよらず。

  熊谷もはては坊主やけしの花

此夜本庄
(現本庄市)に泊る。

 八日
かくいへる所
(高崎市倉賀野)にて

  くらが野ときけばや里も木下闇

けふは過ぐる道すがら、家々の軒に藤をさし侍り、花をもさし葉をもさせり。所の人にきけば、佛生會の手向也と云ふ。故郷にて見馴れぬ事也。陸奥國に花かつみふく類にやとめづらし。

  灌佛もやがてはへとて藤の花

此夜板鼻
(安中市板鼻)にとまる。

(以下、略) 
   
 詠いこまれた花   ウツギワラビケシフジマコモ



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